「感泣亭」とは、詩人小山正孝が自分の書斎につけた名前である。
(小山正孝については、以下のリンクで詳しく紹介している)
この場所にコミュニティスペースを作ろうと考えたのは、小山邦子である。
邦子は、長年生協パルシステムに勤務し、最後の仕事として「セカンドリーグ」(老後の暮らしを作る)の責任者として、パルシステムの発行する雑誌「のんびる」の編集長を務めた。
邦子は、その経験から地域で共に暮らすための「まちの台所」を作ることを考え、ボランティアをしながら、実際を学びながら構想を練った。
結果、駐車場があった場所に母屋に接続したスペースを作ることを考え、設計を佐野哲史氏に依頼した。佐野哲史氏は、別所沼にある立原道造のヒヤシンスハウスの建築に携わったことで有名である。
感泣亭の母屋は、立原の親友生田勉の設計であり、立原道造で繋がっている。
コミュティスペース感泣亭の建築は、2011年の予定であったが、東日本対震災の影響で一年遅れ、完成は、2012年にずれ込んだ。
以後、この場所ではの月一回のお食事会を軸に、感泣亭俳句会や小山正孝を顕彰する「感泣亭例会」などが行われてきた。
この間に主導的な役割を担ってきた小山邦子が認知症を発症したが、ボランティアの方々の強力な支援で、コロナ前の2020年1月までこれらの会を継続することができた。
また、この間オレンジカフェやのんびるカフェなど認知症カフェの色彩を帯びるカフェも開催された。この中で、「街の展覧会」や「演奏会」なども企画実施されたことも付記しておく。






2022年、邦子の夫の小山正見と書家の土井伸が偶然再会したことから感泣亭の新しい動きが始まった。
その年のうちに「豆ちゃんの伝説のお赤飯」を広める活動が始まり、2023年2月からは、感泣亭の軸となる「サロンde感泣亭」が毎月第4火曜日に定例的に行われるようになった。
2024年には「心から楽しむ会津ワイン」の集いや、感泣亭クリスマス「プリンの会」などのイベントも行われた。